デフラグビーの歴史

1994年12月

「音のない世界の肉弾戦」『ラグビーマガジン』2月号掲載 デフラガーマンを呼びかける

1995年9月

初の合宿開催(東京・府中)「日本聴覚障害者ラグビーを考える会」の設立

1997年9月

 「聴覚障害者ラグビーを考える会」解散

1998年4月

「日本聴覚障害者ラグビークラブ」(JDRC)発足

2000年5月

公式戦に初参加(越谷セブンズ)

2002年4月

ジャパンセブンズに初参加(秩父宮ラグビー場)

2002年5月

デフ日本代表メンバー、日本ラグビー協会より発表される

2002年8月

ニュージーランド遠征へ、第1回デフラグビー世界大会に参加
7人制の部にてウェールズ、ニュージーランドを破り準優勝

2005年8月

JDRC、日本単独で英国遠征へ

2006年5月

結成10周年記念試合開催(花園ラグビー場)「日本聴覚障害者ラグビー連盟」発足

2011年10月

 豪州親善試合(瑞穂ラグビー場・花園ラグビー場)

2016年3月

法人格取得 特定非営利活動法人 日本聴覚障がい者ラグビーフットボール連盟に改名

2018年4月

World Deaf Rugby 7’s in Australia(2002年以来、16年ぶりのデフラグビー国際大会開催) 日本代表4位

2023年4月

World Deaf Rugby 7’s in Argentina 日本代表7位

参考文書

静かなるホイッスル

柴谷 晋
2006年10月25日 新潮社発行(amazonで購入する

〈内容〉(「BOOK」データベースより)
2005年冬、倉津圭太という重度の難聴のラグビー少年が東海大翔洋高校のスクラムハーフとして全国大会で活躍。花園の観客を驚かせた。彼の背景には「デフラグビー」があった。
デフラグビーとは、「聴覚障害者ラグビー」のこと。ニュージーランドで行われていたその紹介記事を一人の写真家が雑誌に寄せたのをきっかけに、日本全国から聾者・難聴者が集った。だが試合が出来ず、運営に行き詰まり、活動は崩壊の危機に。
そこである男が頑張り、世界大会参加が決定。ふたたび「聞こえないラガーマン」たちが結集する。そして―疎外感に苛まれていた聾者・難聴者たちの生きる姿勢を、ラグビーが根底から変えていく。彼らの不思議な交錯の軌跡を自らも難聴ラガーマンである著者が追うノンフィクション。

とどけ!ボール つながれ!ぼくらの言葉

村上 晃一
2023年10月31日 あかね書房発行(amazonで購入する

〈内容〉(「BOOK」データベースより)
生まれつきほとんど耳の聞こえない大塚貴之さんには、ラグビーをすることで伝えたい思いがある。聞こえなくても、元気にスポーツができるし、勉強もできる。友だちもたくさん作れる。そして、ちがいを認めあい、だれもが平等にチャンスをあたえられる世の中がくることを願っている。